1950(昭25)年6月28日:埼玉県議会においてオートレースを開催する旨の議決が行われた
オートレース施行者は都道府県と五大都市(後に競走場の所在市町村まで拡張)に限られ
しかも一都道府県内一ヶ所と限定されている
その設置候補地として大宮市、川口市及び戸田市が名乗りを上げた
10月26日の県議会特別委員会で投票採決が行われた結果
大宮12、川口10、白紙1で大宮に一度は内定したが
同月31日の県議会本会議では川口33、大宮15、白紙1で逆転して川口市に決定したのである
川口市はかつて競輪場が新設される際
川口市、朝霞市、村山市(現:西武園)の3者で争い
結局、西武鉄道の村山市に敗れたという苦い経験があり今回は何が何でもという気魂が誘致成功に繋がったと言える
1950(昭25)年12月15日:社団法人埼玉県小型自動車競走会設立
1952(昭27)年2月1日:川口オートレース場開設
(ダート800m、幅員61m、曲率半径36m)
記念すべき開場当日は前夜来の大雪による白一色の中で迎えた
関係者は必死の除雪作業を行ったが走路は泥沼と化してしまい
川口オートの前途が思いやられる幕開けとなった
開催式典は予定通リ行ったもののレースは順延となる
1955(昭30)年1月15日:川口市の主催にて川口オートレースが初開催される(主催:埼玉県)
<昭和34年度・埼玉県主催・連勝単式勝車投票券>
1965(昭40)年4月:通産省よりオートレースはダートコース使用不可の省令が発令
1967(昭42)年7月16日:ダート走路にて最後のレースが開催される
同年10月29日:走路舗装化された新川口オートレース場が開場される
1973(昭48)年5月30日:四輪車レースの廃止
2006(平18)年:埼玉県は撤退を正式表明し施行者は川口市単独になることが決定した
土地建物は川口市が所有管理している
敷地の有効活用でバンク内には交通児童公園が設置されており、レース非開催時に
地元地域の小学校、幼稚園の交通指導に利用されている
埼玉県川口市青木5−21−1
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